2009年06月26日

2004年10月にはアメリカが派遣した調査団

2004年10月にはアメリカが派遣した調査団が「イラクに大量破壊兵器は存在しない」との最終報告を提出。大量破壊兵器の情報の信憑性が薄いものであったことが明らかになった。この事に関してサダム・フセインは、拘束後のFBIの取調べで、イラクが査察に非協力的だったのは「大量破壊兵器を保持している事をほのめかす事でイランや国内の反政府勢力を牽制しようとした」ためで、化学兵器などの大量破壊兵器は「湾岸戦争後の国連の査察ですべて廃棄させられたため最初から無かった」と証言している[33]。

アメリカ政府は大量破壊兵器に関するCIAの情報に誤りがあったことが原因であるとし、議会で調査が行われる事態となった。
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一方、大量破壊兵器が発見されなかったことで、イラク戦争を支持した同盟国にも動揺が走った。最大の同盟国であるイギリスでは、ブレア首相が開戦前に「フセイン政権が生物化学兵器の使用を決定した場合、45分以内に配備できる」という報告書を提出し、情報の真偽を巡って自殺者まで出していたため「国民を騙した」として支持率が急落、任期を残しての早期退陣に追い込まれた。デンマークのイエンスビュ国防相も開戦前に「大量破壊兵器問題をめぐる報告書」を提出してイラク戦争を支持したため辞任を余儀なくされた。また、ポーランドのクワシニエフスキ大統領は「アメリカに騙された」と批判し、日本の久間章生防衛相も「大量破壊兵器があると決め付けて、戦争を起こしたのは間違いだった」と発言し物議を醸した。オーストラリアのブレンダン・ネルソン国防相にいたっては、「原油の確保がイラク侵攻の目的だった」と開き直る発言をして批判を浴びている[34]。

ブッシュ大統領は退任直前のインタビューで「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」と述べたが、大量破壊兵器を保有していないことを事前に知っていれば、イラク侵攻に踏み切らなかったのではという質問に対しては、「興味深い質問だ」と述べただけで、明確な返答を避けた[35]。

2009年06月10日

パン粉(ぱんこ)は、パンを乾かして

パン粉(ぱんこ)は、パンを乾かして、砕いた粉である。フライや豚カツなどの揚げ物の衣にしたり、ハンバーグなどの肉料理のつなぎにする。また出来上がった料理にふりかけることもある。乾燥させていない生のパンをフードプロセッサーで砕いたものは、生パン粉(なまぱんこ)と呼ばれる。
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元々の西洋のパン粉(仏:chapelure 英:breadcrumb)は非常に乾燥したパン(またはビスケット)を細かくつぶしたもので、しばしば風味が付けられている。一方、日本のパン粉はやや粗めで、パンの耳を使わないためにより空気が含まれており、しばしば両者は区別される。アジア圏では日本のパン粉が好まれる傾向があり、「Panko」と呼ばれて市場に出回っている。近年では、アメリカ大陸を含む西洋文化圏のアジア系食料品でも入手でき、食の多様化に伴い、日本風のパン粉を使った料理も紹介され始めている。

荒く砕いたパン粉は、油を適度に含むため、揚げ物に使うのが最適であり、細かく砕いたパン粉は、滑らかな舌触りを生かし、ハンバーグやカツレツのような焼き物に使う。パン粉を用いて揚げ物をする際、軽く霧吹きなどで湿らせておくと歯ごたえのいい衣になる。

2009年06月07日

関東管領山内上杉憲政、扇谷上杉朝定

天文14年9月26日(1545年10月31日)、関東管領山内上杉憲政、扇谷上杉朝定、古河公方足利晴氏の連合軍は約70,000(80,000とも)の大軍をもって北条家の河越城を包囲した(一説によれば関東の全ての大名家が包囲軍に参加して、加わらなかったのは下総の千葉利胤のみだったともいわれている)。河越城は北条綱成が約3,000の兵力で守備しており、放置すればいずれ落城してしまう。氏康は本国から約8,000の兵を率いて救援に向かった。戦況は数ヵ月間膠着状態であったが、氏康の救援軍にいた福島勝広(北条綱成の弟)が使者を申し出て、単騎で上杉連合軍の重囲を抜けて河越城に入城、兄の綱成に奇襲の計画を伝えた。
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氏康は上杉軍に対して偽りの降伏を申し出た。上杉軍は受け入れず、逆に北条軍を攻撃したが、氏康は戦わずに兵を引かせた。これにより上杉軍は北条軍の戦意は薄いと思い込み、自軍の兵士が多いということもあり油断が生じた。

天文15年4月20日(1546年5月19日)の夜、氏康は自軍八千を四隊に分け、そのうち一隊を多目元忠に指揮させ、戦闘終了まで動かないように命じた。そして氏康自身は残り三隊を率いて敵陣へ突入。子の刻、氏康は兵士たちに鎧兜を脱いで身軽にさせ、上杉連合軍に突入すると、上杉軍は大混乱に陥り、扇谷上杉家当主の上杉朝定は戦死した。しかし氏康が深追いした事を、後方より見ていて危険と感じた多目元忠は、法螺貝を吹かせて氏康軍を引き上げさせた。一方、城内では戦況を見守っていた綱成がこの時とばかりに足利晴氏の陣に「勝った、勝った」と叫びながら突入、氏康軍に気を取られていた足利軍は総崩れとなった。連合軍の死傷者は13,000人と伝えられている。

2009年04月23日

白系ロシア人

白系ロシア人(はっけいロシアじん、ロシア語:Белоэмигрант;英語:White Russian、White Emigre)とはロシア革命後、共産主義を嫌いソヴィエト政府の支配に服するを潔しとせず、ロシア国外に脱出あるいは亡命した旧ロシア帝国国民のことである。

しかしながら、一般に白系ロシア人とされる人々の中には革命から暫く経って出た人間、つまり、革命に反対したわけではない人間も少なくない。これらの人々を白系ロシア人に含むかは議論がある。

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白とは共産主義=赤に対する意味での白。帝政の復活を望んで、革命軍と各地で内戦を起こしていた軍人・軍閥も「白軍」、「白衛軍」と呼称されていた。白人(人種的特徴)やベラルーシ(「白ロシア」、「白ルーシ」の意味)該当地域に所縁ということではない。

また、旧ロシア帝国からの亡命者を総称して白系「ロシア人」と称しているため、内訳は必ずしもロシア民族・スラブ人種という訳でもなく、ロシア帝国に居住していた異民族出身者や他人種の出身者も含まれた。中でも、ソヴィエト政府による弾圧のひどかったウクライナ系やポーランド系、ユダヤ人(ユダヤ民族、もしくは民族・人種に関係無くユダヤ教徒である者)の国外亡命者は多かった。

また、白=反革命というのも共産主義者側からの偏見(上は貴族・聖職者・地主・企業経営者・企業幹部から下は自作農まで、生産手段を自前で持つあらゆる階層出身者は人民の敵と看做された)という見方もあり、実態はたんに「旧ロシア帝国で革命後に反革命的であるとのレッテルを貼られ、切迫した危険を感じたことにより亡命を余儀なくされた人々」である。

経緯
ロシア革命とその後のロシア内戦を逃れ、多くの知識人や技術者、軍人、貴族、一般市民が国外へ逃れた。また、ボリシェヴィキとの戦いに敗れた者、共産党政権から迫害を受ける危険を感じた者も国外へ逃れた。こうした人々が、一般に白系ロシア人と呼ばれるようになった。

こうした中から、かなりの数の人々がのちにヨシフ・スターリンの呼びかけに応じソ連へ帰国、粛清された。スターリンは、白系ロシア人に対してその反革命の罪を許すと表明し、ともに祖国を再建しようと呼びかけた。そして、それに応じて帰国した人々を虐殺したのである。

白軍

白軍(はくぐん:ロシア語:Белая Армияビェーラヤ・アールミヤ)は、ロシア革命における革命側の赤軍に対する反革命側の軍隊の総称である。この場合の「革命」というのは「十月革命」のことであって、白軍の多くはその前の「二月革命」には反対していない。以前はボリシェヴィキ系の共産主義者以外はすべてが白軍に括られる傾向があったが、これはソ連によるプロパガンダであり、今日ではすべての反ソヴィエト勢力が白軍と呼ばれるわけではない。
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白衛軍(Белая Гвардияビェーラヤ・グヴァールヂヤ)、白色運動(Белое движениеビェーライェ・ドヴィジェーニイェまたはБелое делоビェーライェ・ヂェーラ)とも呼ばれる。その他、各国語によって異なる名称で呼ばれる。ロシア内戦において赤軍と戦闘を繰り広げたが、1920年にクリミア半島から最後の部隊が撤退・亡命した。

白軍は、ロシア帝国旧領内の各地で設立された。白軍の内訳は旧ロシア帝国軍、白軍派コサック軍から成り、共和制派が多く、各地に共和国を建国した。また、主要な白軍は反ボリシェヴィキ革命に対する牙城として英仏などが支援していた。なお、ロシア内戦期に活動した勢力には、白軍(多数の共和主義者と少数の専制主義者)と赤軍(ソヴィエト共産主義者)のどちらともつかない、社会主義者や非ボリシェヴィキ系の共産主義者の勢力もあった。これらを俗に「ピンク色」と称することがあるが、侮蔑的な呼称である。

白軍指導者にはデニーキン、コルチャーク、セミョーノフなどが存在する。一時はロシアやウクライナの多くの土地を支配下に収め、圧倒的な強さを誇ったが内紛などもあり次第に赤軍に敗北を重ねるようになった。最終的に、1920年11月のペレコープ=チョーンガル作戦で破れ、多くの兵・市民がフランス、アメリカ合衆国などへ亡命した。このときの亡命艦隊はロシア艦隊と呼ばれ、1930年代までフランスに抑留されていたことで知られる。

白軍は、ロシア帝国の支配下にあったフィンランドでも設立された。ロシア革命によってフィンランドは独立したが、独立直後の政情不安と混乱を突き、共産主義者である赤衛軍がフィンランド各地で反乱を起こした。この赤衛軍は一時首都ヘルシンキを占領したため、その反対勢力はロシア帝国の軍人だったカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムを登用し、白衛軍を組織した。当時第一次世界大戦中でロシアと対立していたドイツ帝国と、中立ながらフィンランドに同情を寄せていたスウェーデンが義勇軍を送り内戦となった。1918年1月から5月まで戦闘が行なわれ、最後は白衛軍が勝利を収めた。

白軍の「白」については、「白軍を構成する主な勢力が旧ロシア帝国軍であり、白色テロと関連づけた」という説と、「ロシアでは白(=雪)が悪を示す色で、赤(=火)が正義を示す色であり、ボリシェヴィキが民衆に相手は悪だと印象づける為に白軍とした」という説があるが、よく分かっていない。

なお、満洲や北海道への移住で日本人にも馴染の深い「白系ロシア人」は、革命時に白衛軍側とみなされ国外へ逃亡した人々のことである。

白ロシア(ベラルーシ)は地域名及び共和国名であり、「白系」とは無関係。この場合の「白」の意味についてはベラルーシ#国名を参照のこと。

2009年04月22日

ワリ

ワリ(Huari,英語圏で時々Wariと表記)は、西暦500年?900年ごろアンデス中央高地で繁栄したプレ・インカの文化。

ワリの都は、現在のペルー、アヤクーチョ県にあったといわれている。そのため、ワリ遺跡へは、アヤクーチョ市から観光ツアーも出ている。また、キヌア(Quinua)(村の名前)行きバスにのっても、遺跡の近くを通るため、行くことができる。近年、博物館も整備され、遺跡から出土した遺物を展示している。特にワリ文化の特徴である、杖を持って正面を向いた人物が描かれた大型の甕や、黒曜石製の石器類(ワリ以前の社会のものもある)が数多く展示されている。

また、遠くペルー北部のカハマルカ県から運ばれたと思われるカハマルカ式の土器も展示されている。同時に、現ボリビア共和国に中心があったティワナク文化圏から運ばれたと思われるティワナク様式土器も展示されている。

特徴
ワリ文化の起源は、はっきりとはわかっていない。ただし、この地域にはワリ以前にワルパと呼ばれる地方文化があったことがわかっている。

ワリは、現在のペルー沿岸部と高地部分全体に版図が広がっていたといわれているが、太平洋沿岸部におけるワリの支配が実際にどのようであったのかは、リマ近郊やナスカ地方の一部を除けば、確実なことはほとんどわかっていない。ペルー北海岸にあったモチェ文化圏との接触は様々議論されている。かつてはワリの進入がモチェ政体の衰退を促したことが議論されていたが、現在ではこの説を否定する研究者が多い。また、ほぼ同じ時期に、アンデス中央高地南部にある現在のボリビア北部ではティワナク文化が栄えていた。この時期を、アンデス考古学の編年で、中期ホライズンという。現在、その編年はD.メンゼルの編年に基づきながら修正されつつ用いられている。

メンゼルの編年で1Bにあたるころからワリ文化が始まる。ペルー南海岸に栄えたナスカ文化の9期が、アヤクーチョ盆地チャキパンパ(Chakipampa)期にあたり、北海岸ではモチェV期に相当する時期である。おおよそ西暦600年頃である。その後、メンゼル編年でいう2Aに当たる時期が、アヤクーチョ盆地の編年のコンチョパタ期にあたり、おおよそ西暦700年頃まで続く。この時期がもっともワリ文化が栄えた時期である。

ワリでは、各地を支配するためのすぐれた建築物を多数配しており、現在のペルー共和国北部にあるワマチューコ市郊外のビラコチャパンパ遺跡や、南部のクスコ県にあるピキリャクタ遺跡は有名である。壁を二重に巡らした、長方形の部屋状構造物を特徴とするこのワリの建築群は、ワリの支配の一つの指標として議論されているが、実際には、地域によって差が見られ、地域によっては土着の政治組織を覆うような形で支配をしていたことを示すものもあるという。

ワリ期には、壁の下に埋葬が伴われることがあった。これはアヤクーチョのワリ遺跡でも見られるし、また、クスコ郊外のピキリャクタでも見つかっている。ピキリャクタの人骨の中には、頭蓋変形が施されたものもある。

D字型をした広場を持つ建造物は、ワリ文化の建築群の特徴の一つで、儀礼の場であろうと解釈されている。ワリ本拠地やいくつかのワリの地方遺跡の中には、地下式建造物をもつものがあり、地下数メートルにまでおよぶ複雑な構造をなしている。

ワリ文化に代表される考古学遺物のうち、大型のカメやケーロと呼ばれるコップ状の土器は有名である。ワリ文化では、トウモロコシ酒(チチャ)を用いた儀礼活動が盛んに行われていたとされており、その儀礼が執り行われた後、土器を壊して土中に埋める儀礼が行われていたとされている。カメには人物像や作物などが描かれている。

ワリ期の織物も海岸地域で複数見つかっており、そこにはティワナク文化やプカラ文化と共通する「杖をもった神」の図像が描かれている。描かれるモチーフは同じものが多いが、描かれ方がこれらの文化とは若干異なっている。ティワナク文化の同じ図像に比べ、ワリ文化の図像は、ティワナクの図像とは異なった様式化がされている(表現に困るが、強いて言えば、漫画っぽくなっているといったよな感じであろうか)。これは土器に描かれている図像も同じである。ワリ期に利用されていた帽子も見つかっており、おそらく権力者が利用さて板物であろうとされているが、その特徴は4つの角を持ち上部が平らな物である。これと似たような帽子はティワナク文化でも利用されていたと言われている。

また、ワリ文化では、黒曜石の流通も一部で行われていた。ただし、黒曜石が珍重されたメソアメリカ文明と異なり、アンデス文明においては、黒曜石は、その鋭利さやガラス質の質感や漆黒の色感は珍重されたものの、それでも、他の石材と比較して特別に重要視されていた石材ではなかった。しかし、紀元前の社会から流通があったことは分かっている。

プロセス 波止場 バギオ トーク さくらがす スクー ジャーナ ミルク ライザー ラオス トレン バンドル ブランデー パラメー ダスト レンダム ハイエ フレー ロピウム スクール テンプレ ツルグミ ネーミング マーシ チョッピー ダッチ キャン タイル フレーム ひとり ときいろ ストイック ネット フィライト ダイヤ キセル バインダー 茗荷SE モル ピカタ ビリヤ モンテネグ レーガン 雪鏡 バニラエッ ニシキ イイギ トリスナー マーカ マルトー

ワリ文化では、自らの領域内に、アンデスでは数少ない黒曜石の産地を数カ所持っていたので、多少は利用されていたようである。例えば、アレキーパ県にあるAlcaやChivay付近、クスコ県の山間部では黒曜石を産出するため、その交易がワリ期に広範囲にわたって行われていたことが分かってきている。ティワナク遺跡やその周辺遺跡から出土する黒曜石のほとんどが、このワリ文化圏から移入されていたと言われているが、実際のティワナク関連遺跡からの出土総数は極めて少なく、石鏃などの一部に利用されているにすぎない。ティワナク文化ではむしろ黒色玄武岩などが珍重され、この石材はプーマをかたどった彫像など特殊な彫像などのために利用されている。ワリ文化では、特にワリ遺跡の中心部などでも、尖頭器(槍先)が出土しており、威信財として用いられていた可能性があるが、正式な調査はなされていない。また、チャートなど在地の石材が主に日常生活の利器には利用されていた。

ワリとティワナク
ワリが栄えた時代には、現在のボリビア共和国にティワナクと呼ばれる文化が栄えていたことが確認されている。おそらくこのティワナク社会はかなり複雑な国家レベルの政治組織を持つ社会であっただろうと言われている。かつて、ワリはティワナコイデあるいは海岸ティアワナコとよばれていたが、現在ではティワナクとは異なった政治組織および文化であることがわかったため、ワリと呼ぶようになった。

ワリとティワナクの境界はおおよそモケグワ県あたりであったといわれている。モケグワには、ワリの地方遺跡であるセロ・バウルとティワナク政体の飛び地であるオモ遺跡群がある。これらは、それぞれ立地条件が異なっており、セロ・バウルが山の頂に、オモ遺跡群がモケグワ川の近く谷底周辺に立地する。両者の具体的な関係はわかっていないが、このように棲み分けがなされていたことは注目に値する。

また、ワリ遺跡ではティワナク様式の土器などが散見されるが、ティワナク遺跡ではワリ文化の遺物が発見されることはほとんどない。

ワリとインカ
ワリの滅亡後、300年が経過すると、インカ帝国が成立する。ワリの支配の方法はインカ帝国にも受け継がれたといわれており、さまざまな面で影響を与えているといわれている。たとえば、インカ帝国全土に広がる道路網はワリ帝国の時代に基礎が築かれている。また、ワリの王統がインカに継承されているとも言われており、口承で残っている。さらに、インカ期に用いられたキープ(結縄)と呼ばれる縄の結び目を利用した文字の代替用具が、ワリ期にすでに存在したとも言われている。さらに、インカの宿敵であったチャンカは、アヤクーチョが起源といわれている。

2009年04月05日

黄表紙(きびょうし)

黄表紙(きびょうし)は江戸時代中期の1775年以降に流行した草双紙(一種の絵本)のジャンルの一つ。

恋川春町の『金々先生栄花夢』(1775年刊行)がそれまでの幼稚な草双紙とは一線を画する、大人向けの読み物として評判になった。それ以降の一連の作品をのちに黄表紙と呼ぶようになった。1冊5丁で、2・3冊からなるものが多い。毎年正月に刊行されるのが通例であった。なお、朋誠堂喜三二、恋川春町の「文武二道」を冠する黄表紙は松平定信の文武奨励策を風刺したものとして幕府から圧力を受けた。山東京伝の洒落本・黄表紙も摘発され、京伝は手鎖50日の刑を受けた。文化期頃から敵討ち物が全盛となって長編化し、合巻というジャンルに移行した。

特徴 [編集]
『金々先生栄花夢』からも知られるように、黄表紙の筋書き自体はたわいもないような話であるが、言葉や絵の端々に仕組まれた遊びの要素を読み解くことに楽しみがあった。フキダシの様なものが描かれるなど現代の漫画に通じる表現技法を持っていた。

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2009年03月21日

JR九州所属車(1000番台)

「長崎オランダ村」(ハウステンボスのルーツとなったテーマパーク)方面へのアクセス輸送および PR に用いる専用車両として、JR九州が1988年に製作した区分である。電化の有無によらず広汎に使用できるよう気動車として計画され、500番台の主要構造を基本に設計したことから本系列の一区分として付番された。

前頭部は運転台を2階に配し、大型の曲面ガラスを配した展望室をもつ。側窓枠と窓柱を黒色とした連続窓風処理など、車体各部の基本構造は500番台とほぼ同一である。外部塗色は窓上部が赤色、窓周囲が白色、車体下部が青色の「トリコロール塗装」で、青色地の上下に白色の帯を2本配する。

駆動系は500番台の駆動機関・変速機の構成をそのまま踏襲し、電源装置の有無による仕様の相違も同一である。台車も同一の仕様で、搭載機関によって DT53Q (1軸駆動)または DT54Q (2軸駆動)のいずれかを装備し、付随台車は各車共通の TR239Q である。当初よりダイナミックブレーキを装備する。
本区分は、「オランダ村特急」運行開始当時の運転区間の一部(小倉・門司港 - 鳥栖間)の列車の運転頻度が高く、電車特急に併結する運用形態をとる必要が生じたため、485系電車との協調運転が可能な設計とされた。先頭部の連結器は双頭連結器を装備する。
まっち棒 きたみ ショートス バルト デンバー トスタチン チップ はじめて ばんか カラー ニュー ラジウム アドミラル プロフィット ネリカ スレッド 恋草子 ラッカー プレミア コリック サーフス ケード アサイン サーチ大潮 リンガ メイリオ オブラー ソクラ コサック からし菜 パラリ ゲバ上位 ヌーデン セルフレジ 草枕 トング 夢の果て ホソル びわ検 ひつじの涙 チャイ ナッツ パー 対策リマ ブラボ タイム ラングーン メキシコ ハクサンイ かいらん

キハ183形
本区分の先頭車で、1988年に 1001・1002 の2両が製作された。電源装置はもたない。
キハ182形
本区分の中間車で、 1001・1002 の2両が製作された。 1001 は1988年に鹿児島車両所(現・鹿児島総合車両所)でノックダウン生産された車両で、電源装置を床下に装備する。室内の一部にカフェ室・区分室を配する。 1002 は1989年に追加製製作された車両で、電源装置はもたず、大出力の駆動機関を搭載する。室内の一部に子供向け空間「ぷれいらんど」を設ける。

製作直後は「オランダ村特急」で使用されたが、運用区間や使用目的の変更による数度の改装を経て、現在は特急「ゆふDX」として使用されている。

2009年03月06日

推進力を風に頼っている船では衝角戦術

推進力を風に頼っている船では衝角戦術を取ることはできない。衝角攻撃のためには好適な風を受けて前進する必要がある。風が弱ければ効果は期待できず、風下側からは不可能である。その場合に利用でき、スペイン人が長く用いてきた戦術は、船首を敵の横腹にぶつけて甲板に侵入する斬り込み戦法だった。このような攻撃をするためには、風上に位置取り、追い風を受けて横陣で突き進むことになる。しかし、風下の敵もこの向きを変えればこの攻撃をかわすことができ、また舷側砲で敵の艦首を破壊することができた。

組織の重要な革新が、サー・フランシス・ドレークによってなされた。軍艦は、彼のリーダーシップの下に、掌帆長、航海長、掌砲長、海兵隊長らによって構成される一種の委員会によって階級的に統率された。ドレークは専門知識を持たないものがその「委員会」に加わることを認めず、艦においては、社会的な地位と関係なく、その技能と経験によって裏打ちされた艦長の命令が唯一絶対のものであるという原則を確立した。この革新は、帆船時代のスペイン海軍では実現されず、その時代を通して「紳士」による妨害が行われ続けた。革命フランス海軍では、十分な経験や訓練を積んでいない水兵を昇進させるという、それとは逆の愚行が行われた(それは陸軍においても同様だった)。イギリス海軍では、それと対照的に、中流階級出身の多くの優れた指揮官を輩出した。それはたとえばホレーショ・ネルソン(牧師の息子)、ジョン・ジャーヴィス(事務弁護士の息子)またはコリンウッド(肉屋の息子)などであり、トマス・コクランのような貴族出身者と対等の活躍をした。しかも、まれな例ではあるが、ジョン・ベンボウのような労働者階級の出身者までいた。

単縦陣戦法
17世紀前半の舷側砲の性能向上によって、その火力を他の艦に遮られることなく最大限に発揮するために、艦隊は縦1列に並んで戦うべきであるという結論が導き出された。

単縦陣戦法はイギリス海軍の伝統的な戦法となった。特に1653年に「航海戦闘術」を書いたロバート・ブレイク将軍によるところが大きい。最初に文献に残っているのは、やや早く1639年9月18日の戦闘におけるオランダのマールテン・トロンプ中将がスペイン軍に対して取った戦法である。この戦法は英蘭戦争では両軍とも用い、「戦闘術」として文書化された。これが17世紀と18世紀の海戦では基本的な戦法となった。
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単縦陣戦法で大事なことは船の1隻1隻が十分に強くなければならないことである。旧時代の乱戦の中では小さな船は同じような大きさの船を探して戦うか、あるいは複数で大きな船に戦いを挑むことができた。単縦陣戦法が採用されると海軍は戦列を組める船とそうではない小さな船とを区別し始めた。1660年代に単縦陣戦法が標準的な戦闘隊形として確立されると、商船や軽武装の軍艦は会戦の中での位置付けが無くなっていった。単縦陣戦法では、敵の戦列の対応する艦がいかに強力であったとしても、それに独力で立ち向わねばならない。そうした単縦陣戦法に対応して、独力で戦う十分な戦力を持った持った船として作られたのが戦列艦である。

2009年02月14日

パチンコセクシーリアクション

コントローラは同社作のパチンコ(新枠)と同じもので、1980年代初頭に幾つか見受けられた『テレパチ』『パチフィーバー』等のビデオパチンコや、中日本リースの『銀玉勝負』にも同じようなコントローラーが使われている(当然、互換性はない)。このコントローラーの構造は『アルカノイド』等に使われているフォトセンサーを一回り大きくしたような形で、コントローラーの回し方の強弱でモーターの回転速度が変化し、モーター部分に付いている接点がフォトセンサーを潜り抜ける事でゲーム上の玉が発射されるという仕組みになっている。なお、基板上のDIPスイッチの設定を切り替えることで通常のレバーとボタンでも操作が出来るように変更が可能である。

基本的なゲーム内容はパチンコと同様である。初期の持ち玉は100発。ハンドルを回すことでパチンコの玉が発射され、持ち玉カウンターが減少、チャッカーやアタッカーに入れば100を上限として増加、0になるとゲームオーバーとなる。ゲーム中の追加クレジット投入により、持ち玉が100発に回復する。

通常のパチンコに見られない特徴としてカラーボールの存在がある。本作のパチンコの玉には通常のもの(銀玉)以外に特殊な効果を持つ玉が存在し、カラーボールと呼ばれている。カラーボールは、以下に示される特定条件発動中でない限り、不定期に発射される。カラーボールの種類と効果は以下の通りである。
ドール ワーカー イエロー コヒル ナツメグ トリックス パントリ スプーン パハク ツイン イートイ しゃみ プリズム リンゴ ストロベ チュー オムライス 冒険家 サイメッ チュートリ チョン フェニ キャン ファンブル フィス サザン ビエラ デパー 木綿のハン コイズ ラウンド ジンコール パフス マザー オシレー にっけ ベンチ こかげ チョッキ 日本全国 ユニタ タグカード オプテ ユトレ アドイン フリゲート 極楽トンボ トルリン ワスレナ フェミ

青色
残像効果を持ったボール。チャッカーに入ると、その後発射される玉が一定数、赤色のカラーボールとなる。
赤色
チューリップに入ると一定時間、チューリップが開放状態となる。
虹色(第1作のみ)
ボールの回りが複数の色に光り輝くボール。チャッカーに入ると、一定時間高確率タイムに移行する。
ハート(第2作のみ)
画面上に時々現れる星マークにボールが命中すると、その直後に一定時間発射される。ハートのカラーボールがチャッカーに入ると、一定時間高確率タイムに移行する。
ドクロ
チャッカーに入ると、ボールの入ったチャッカーが破壊されてしまう。破壊後、一定数の玉を発射すると、破壊されたチャッカーは復活する。但し、第1作の最終ステージにおけるゴールドチューリップは復活しない(通常のチューリップとなって復活する)。なお、大当たり中に開くアタッカーには影響を与えない。
攻略対象キャラクターは5人。第3ステージまではプレイ順を選択可能、第4ステージからは固定となっている。

第3ステージまでの台はデジパチとなっている。ボールがチャッカーに入るとスロットが回転、絵柄が揃うと大当たりとなる。通常は閉じた状態となっているパチンコ下部のアタッカー(ミニポケット9箇所)が大当たりの際には開き、あるいはステージによっては開閉を始め、一定時間以内に開状態のミニポケット全てにボールが入れば連荘となる。

第4ステージ以降の台は羽根モノとなっている。大当たりまでの仕組みがステージによって大きく異なるため、これらのシステムについては各ステージのキャラクター説明に合わせて詳述する。

ボールがチャッカーやミニポケットに入って持ち玉カウンターが増加し、カウンターが100からあふれた分は箱に貯蔵される。目標玉数まで箱が貯まればステージクリアとなる。

1人に対して3面のプレイが設けられており、それぞれの面で獲得できる景品(衣装)も異なる。なお、第3ステージまでの目標玉数はそれぞれ500発、1000発、1500発となっている。第4ステージの目標玉数は1000発、2000発、3000発。第5ステージの目標玉数は2000発、4000発、6000発となっている。

杉本みるる(声:西原久美子)
17歳の高校生。3サイズは88-56-84。
元気が取り柄。コスプレが趣味で、本作の主題である「女の子に着替えてもらう」ことにも積極的に応じてくれる。というより、デートで行き先を決める際に「取ってほしい洋服がある」といってパチンコ店さんに連れて行かれるというストーリー展開となっている。
着てもらう衣装は「特撮もの(光線銃らしきものとセット)の衣装」「巫女服」「天使の羽のついた、露出度の高い水着」である。
風見澪奈(声:吉田古奈美)
19歳の大学生。3サイズは84-54-82。
テニスが趣味。運動好きで、パチンコ店に連れていかれることにも、衣装替えにも非協力的。
着てもらう衣装は「テニスウェア」「レオタード」「ビキニ」である。
橘深冬(声:勝生真沙子)
21歳のOL。3サイズは96-57-88。
パチンコ店で高価な衣装をねだり、着替えを覗かれても構わないと余裕を見せる、大人の女。
着てもらう衣装は「チャイナドレス」「赤が映える服」「黒が映える服」である。
君島唯華(声:大谷育江)
パチンコ店に勤める女釘師で、主人公が上の3人を制覇すると登場する隠れキャラクター。自慢の台で主人公に挑んでくる。
このステージは羽根モノであるため、他のステージとは大当たりに向かうまでの仕掛けが異なる。画面下部の3ヶ所のチャッカーに入るとルーレットが回り、ルーレットが止まると同時にルーレット横の羽が一定時間開放。羽に誘導されて中央のVゾーンに入賞すれば大当たりとなる。大当たり後は、羽が一定間隔で開閉し、同じくVゾーンに入賞すれば連荘となる。5連荘で大当たりは終了となる。
3面制覇することで、橘深冬の第2面の衣装に着替えさせることができる。
君島綾音(声:高田由美)
君島唯華の姉。パチンコ店のオーナーでもある。妹が敗れると登場する。
このステージは羽根モノであるため、他のステージとは大当たりに向かうまでの仕掛けが異なる。画面上部の1ヶ所のチャッカーに入るとルーレットが回転、ルーレットの絵柄によって点在されている6ヶ所のチューリップのいずれが開き、そのチューリップに赤色のカラーボールが入ればゴールドチューリップに変化する。6つのチューリップ全てをゴールドチューリップに変化させると、一定時間、発射したボールが外れることのない、巨大なチューリップが出現するという内容となっている。なお、ルーレットの絵柄次第では複数のチューリップが開く場合や、全チューリップ破壊もあり得る。チューリップが破壊された場合、ゴールドチューリップに変化していたものも破壊されてしまい、復活後は通常のチューリップに戻ってしまう。

台は全てデジパチとなっており、大当たり後に登場するボーナスアタックにおいて、指定キャラクターに一定回数ボールをぶつければボーナスクリアとなる。そのため、持ち玉カウンターの溢れ分という考えは存在しない。また、チューリップの上に時々攻略対象キャラクターがお邪魔キャラクターとして登場する点、スコアの概念を設けている点なども前作と異なる点である。

最初のステージは「マリンパーク」「サファリパーク」「海水浴場」から選択して、第2、第3ステージは残りのステージから自動選択となる。第4は「湾岸コース」「シティコース」から選択となり、第5ステージは選択したコースに応じて自動決定となる。コース選択は排他的であり、選択しなかったコースのキャラクターはそのゲームには登場しない。第6ステージは、デート相手のりかるの家となる。

りょうこ(声:木村愛)
マリンパークのアトラクションスタッフ。マリンパークではイルカショーをやっているというのに、会場は満席状態。会場に入るために、主人公はアトラクションスタッフのりょうこにパチンコで挑む。
ボーナスアタックでは氷が出現し、ボールで氷を壊すと中から現れるペンギンがターゲットとなる。
くみこ(声:八田征子)
サファリパークのアトラクションスタッフ。虎の衣装を被り、主人公たちを脅かしにくる。主人公はパチンコで逆襲する。
ボーナスアタックではもぐらがターゲットとなっている。もぐらは、もぐら叩きのように穴から出入りする演出となっている。
みぞれ(声:小暮都)
海水浴場のスタッフ。サメが現れたため、主人公を追い返そうとする。主人公はパチンコでサメ退治に乗り出す。
ボーナスアタックのターゲットは、もちろんサメ。画面上を左右に行き来するサメにボールを命中させると、サメが上向きに口を開ける。その口に一定回数ボールを放り込めば、サメ退治回数としてカウントされ、一定回数こなすとボーナスアタッククリアとなる。
なつこ(声:井上富美子)
シティコースで登場するハンバーガー店員。
ボーナスアタックはバーガーセット作り。ハンバーガー、シェイク、ポテトなどにボールを命中させて出来上がる、画面下部に表示されるバーガーセットがターゲットとなる。
キャシィ(声:藤野とも子)
シティコースで登場する映画スター。お忍びで自身が登場する映画を見に、映画館に来ているところで主人公たちに遭遇する。
ボーナスアタックは、映画館の迷惑な客(音を立ててお菓子を食べている人、悲鳴を上げている人、あくびしている人)である。
みなみ(声:有島もゆ)
湾岸コースで登場する遊園地スタッフ。最初は着ぐるみに包まれた状態で登場する。先輩と呼びながら、人が働いている時にデートしているとは何事かと、近寄ってくる。
ボーナスアタックは、電気が点いたり消えたりする観覧車のうち、電気がついているものがターゲットとなる。
うめ(声:山本奈実)
湾岸コースで登場するバーテンドレス。
ボーナスアタックは、ビルの窓のうち、電気が点滅しているものがターゲットとなる。
りかる(声:鈴木砂織)
デートの相手の女の子。ゲームの最後で、今日は家に寄っていかない?と言い寄り、最終ステージはりかるの家となる。
ボーナスアタックは、本作に登場した女の子たち。まずは邪魔な(りかる以外の)女の子たちを狙って規定回数ずつ命中させることで全員を退けた後、りかるに規定回数命中させればゲームクリアとなる。
通常、ボーナスアタックでのターゲットへの命中回数は内部的に保持され続けるため、パンク後の再度の大当たりの際、ターゲットへの命中回数は前回大当たりの続きからとなる。しかし、本ステージに限り、大当たりのたびにターゲットへの命中回数はリセットされる。